放射能の健康被害についての科学的研究—その態度
以下は、ある人による児玉龍彦東大教授の「ジキルとハイド」氏的行動についての評論に刺激されて書いたものである。
東京大学という権力社会に君臨する官僚などを生み出してきた組織の中にいると、権力側にとりこまれてしまう人が多いようです。それにしても、官僚的な部分(法科その他)はともかく、科学的な部分は、科学の本質を理解し、政治・経済・権力などとは関わりなく、真実を追求する人間が大部分と思っていたし、そうあるべきと思っていたが、その部分でも権力側に取り込まれて、ニセ科学的行動をしてしまう人間が多い、人間とは何と弱いものかと、思う。
放射能、脱原発運動では、さらに難しい本質的な問題がある。それは放射能の生命への被害の科学的根拠を確立するのが、非常に難しいからである。というのは、生命に被害を与える原因は、無数にあるからで、放射能との関連を特定するのは、原理的に非常に難しい。そのため、原子ムラの人間は、放射能の影響は科学的に因果関係を証明できないーだから、心配する必要がないと大衆に宣伝する(ということは、論理のすり替えで、証明できないものは存在しないものとする)。ところが、脱原発を主張する側にも、それを強調するあまり、非科学的な主張(放射能の影響についてのとんでもないウソー例えば、ピカの被害は他人にうつる )を振りまく少数派があり、混乱がはなはだしい。こういうなかで、どこまでが科学的に主張できるかの判断は非常にむずかしい。
真摯な科学的態度では、放射能の影響を過小評価する傾向が強い。ある原子力科学者は、チェルノブイリにも深く関与されて、真摯に問題に対応されているが、残念ながら、放射能の影響をなるべく少なく表現するーということは、科学ではこれまでしか言えないということではあるのだが(ある意味科学者としての良心にしたがっているのだろうが)。そして、そのような科学的・良心的と一般には考えられるこの科学者の言っていることを、こんどは金科玉条のごとく奉る人々が多い。そのため、放射能の影響を強調する人間(たとえ科学的には正常でも)をデマゴーグとして排斥する傾向が、最近は特に増えてきたように思われる。それは、福島の放射能問題を風化させる傾向に拍車をかけている。
科学的態度とは、控えめに発言することではないと思われる。例えば、ほとんどの科学者(原子ムラ内部外部を問わず)は、放射能の影響をガンにのみ結びつけ、DNAへの作用のみに言及する。放射性微粒子が、DNAを見分ける能力があって、それだけを標的にしていると仮定しているかのようである。それこそ、非科学的である。放射能は, DNAどころか、生体内のあらゆる物質に無差別に作用する。問題はDNAへの作用以外は、ほとんど研究されていないので、ほとんど言及することができないだけなのである。放射能の影響がないのではないのである。このため、現在でもガン以外の健康被害が放射能による可能性はほとんど考慮されていない。実際はチェルノブイリでも、ガン以外の様々な健康障害は明らかに観察されているのだが。科学者ならば、放射能はDNA以外にも様々な細胞分子へ作用するはずだということは理解できるだろうし、むしろDNAへの作用は比較的希な作用だといえる、ぐらいの少し突っ込んだ発言は可能だと思われる。が、大部分の科学者はそうした深く突き進んだ思索態度をもたないようである。このように自己に暗示をかけて、もうこれ以上進む必要がない、考える必要がないという態度が蔓延している現状では放射能の生体への影響の科学的解明は進展がむずかしい。このような浅い知識・探求の上の結論を科学的と称し、科学的にものを充分に考えない人々は、このような結論以外の発言を直ちにウソ・デマと攻撃する。実に浅薄な対応の仕方である。
落合栄一郎
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