再稼働は自爆テロに等しい。(原子力発電は自滅の科学技術) 高濃度放射性廃棄物をこの世から消滅させる方法?。付録 原発事故を予見した小説≪天空の蜂≫の感想文
3.11東日本大震災は地震津波による人間へのテロ攻撃(人工環境への破壊)?
一般に環境破壊といえば人間が自然環境を破壊することでありました。これは言い換えれば自然に対する人間の残酷なテロ行為であります。今回は人間が何世代かで創り出した人工環境を自然が一瞬にして破壊してしまったテロとも言えます。絶対安全と言われた原発も完全に破壊され放射能を撒き散らしたのです。原発事故はこれから何世代にもわたって陸海空を汚染します。
大量殺人は出来てもコントロールは不可能な核技術。
今回のその大自然の強大なパワーによるフクイチ(福島第一)原発事故で図らずもで核のコントロールは不可能であることが証明されたようなものです。
原発は膨大な放射性物質を生産する大量殺人兵器の製造装置であり、お湯を沸かして発電するには能率が悪すぎるのです。おまけに壊れると人が近づいて修理が出来ない悪魔のマシンになるのです。事故は小惑星が当たるのと同じ確率100万年に1回と言われていましたが半世紀に大事故が3度も起きてしまいました。いい加減懲りないと人類の存亡に関わります。
核(原子力発電)技術は出来損ないの錬金術(錬毒術)
核のコントロールは中世の錬金術を思い出させます。
錬金術は原子の外側の反応で何でも金に変えようとしました。
後に化学反応で核の中身を変えることは絶対不可能だいうことが解りました。
核分裂はある意味大量殺人毒物を生み出す錬金術(錬毒術と言ったほう良いかも知れません)です。
この世にない最強最悪の核毒物を生産し続けているのです。
プルト二ウムなどは2mのコンクリートの遮蔽でもない限り即死します。
放射性物質を無毒化出来ない
この核毒物はもう一度核の錬金術で無毒の物質に戻すことは出来ません。
現代の錬金術は核を破壊し殺人兵器を作り出す事は出来てもそれを自由に作り変える事はできないのです。
核毒物を作りぱなしの垂れ流し状態です。
核毒物を無毒化するには核の中身を変換するしかないのです。無毒化するには素粒子の加速器で核変換出来るのですがあまりにもエネルギーが必要です。
高濃度放射性廃棄物をこの世から消滅させる方法?。
高濃度放射性廃棄物を消滅させるには反高濃度放射性廃棄物を作り対消滅させることですが仮に山手線を一周する様な巨大な加速器CERNを稼動させると1/4グラムもの反物質を作ろうとしただけで膨大な電力が必要になります。仮に電力を効率100%で物質と反物質の対に変換できるとしたら と考えるのですが実際には絶望的に効率が悪いのです。
- 1/4グラムの反物質を作るのに必要な電力量は、約13ギガワット・アワー(GWh)です。CERNのホームページによれば、CERNの年間の消費電力量は1000 GWhです。
単純計算で反物質製造だけにフル稼働させても20グラム弱しか処理できません。
世界中の電力を集めても無理なようです。
核融合は実現不可能な技術
化学汚染もなかなかコントロールできないのに原子の中の事となると桁違いにエネルギーも大きく、それををどうコントロールするのでしょうか。
それを可能にするには新たな物質に創造しかえるしかないのです。それはまさに錬金術でしかないのです。
物質を壊す核分裂もろくにコントロール出来ないのに核を作り変える核融合は更に可能性はゼロに近いそうです。予算が付くので研究している学者が多いそうです。
ある学者の話によると核融合は地上で扱える代物ではないそうです。
無毒化出来ない核毒物をのべつ幕なしに吐き出す核分裂装置・原発はコントロール不可能な錬金術であり地中にあるウランをより殺傷力ある毒物に変え地球上にばら撒きつつあります。
化学物質であるCO2でさえなんとも出来ないのにはるかに処理不可能な核毒物を人類はどうするのでしょうか。
核毒物の埋葬
今核毒物を人間の埋葬よろしく地下300mへ土葬しようとしています。
人間様なら土に返りますが核毒物はそうは行きません。10万年は無毒化しません。
10万年間誰が監視するのでしょうか。もしかしたら人類はいないかも知れません。無責任なことです。
地球も活動しています。地殻変動で地上に飛び出す可能性大です。10万年まえの地球はどうだったでしょう。
10万年前はホモサピエンスがアフリカから出発したところです。
原発のエネルギーは人類の歴史から見てもほんの100年も維持できない(あと60年でウランの枯渇)つかの間のエネルギーでしかない。
つかの間のエネルギーのために何万年も悩まされおびえ恐れ続けなけばならないのだろうか。
では何故核に固執するのだろうか?
核は軍事技術の中で最も効率よく人を殺し絶滅させることの出来る最強最悪の技術です。核に大量殺人の能力が無ければ恐らく原爆も原発も存在しなかったと思われます。核に魅入られた権力者達は自滅するほど究極の兵器を選択したのであります。死と背中合わせの軍事世界を作りだすことによって地球上の人類支配を目論んできたのです。
核技術(原子力発電)は自滅への科学技術
20世紀人類は核戦争で滅びると言われていたが21世紀にはいると核爆弾から原発に脅威は移っていった。原発は政財官学メディアなどを金まみれにし地震大国日本に54基も設置。国民は放射能まみれの脅威に晒されている。事故や核テロで爆発すれば原発も核爆弾と変わらず放射能を撒き散らし人間を大量殺傷するのです。核の攻撃にさらされなくとも自ら所有している核装置によって脅威にさらされているのです。テロや事故だけでなく今回福島原発のように地震津波など自然災害による脅威も増えリスクは増大する一方でひたすら自滅への道を突き進んでいるようでなりません。
原発のハイリスクは人間の愚かな知恵では超克できないようです。原発に対する幻想はもう終わりにしましょう。
今の日本は地震と津波の超大国であり直下型地震が起これば人間の構造物などガラス細工のようなもの。
たとえば浜岡原発に直下型地震が起これば原発崩壊により日本中が放射能汚染され日本列島は地獄へおちていきます。
by エコエンジェル
付録 原発事故を予見した小説≪天空の蜂≫の感想文
ブログより収集した迫力の感想文集をご覧ください。
小説「天空の蜂」とは!!
①
原発にダイナマイトを積んだヘリコプターを落とそうとする犯人達とそれを防ぎ犯人を特定しようとする警察他関係者のスリリングな駆け引きをウリにする24ばりのサスペンス小説である。この中で、作者である東野圭吾氏は「圧力容器」「格納容器」の堅牢さに言及している。・これがそう簡単に爆発などで破られないこと・各種安全装置が確実に機能し、原子炉が冷却されること一方で、・「使用済み燃料プール」の天井が頑丈でなく、プルトニウムを大量に含むこと・日本中の原発が使用済み燃料を大量に抱えていること・このプールが異常となったときに原子炉が最も危険であることをも予言していた。しかも小説の最後の最後の数ページで。当時は論理構成で納得していたが、原子炉の構造を俄かながら腹に落とした今となっては異常なほど正確な指摘であると感じる。この小説は1998年に発刊されている。12年たった今、より厳しい形で内容が再現されていることに危機感を感じる。
この小説の中で東野圭吾氏は「原発について、国民はもっと知ったほうがいい。」「原発に(ヘリが)落ちたほうがよかった。そのことにいずれみんな気が付く。」と述べている。
今こそぜひ、日本中の方に読んでもらいたい本です。私たちの生活(収入)に無理のない範囲で昼夜を問わず自由に電気を使えるのは薄氷の上を歩むような、危険と紙一重の技術や努力と、『今のところ何も起こってない』だけの運の上に成り立っていることが分かるでしょう。
②
この作品が単なる娯楽小説であるだけなら、犯人はこんな犯罪を行いません。犯人はこう言います。『原発は必要だけれども、事故は起こすなというのは、交通手段が他にないから飛行機には乗るけれど、事故を起こすなと言うのと同じ。技術と努力で事故を起こす確率を下げることはできるが、決してゼロにはできない。搭乗券を買った覚えはないかもしれないが、日本国民は原発という飛行機にもう乗ってしまっている。ただ、その飛行機を飛ばさないという選択もできる。一部の活動家は主張をするが、大部分は沈黙の乗客だ。彼らが何を考えているかはどこにも誰にも伝わらない』。
作中の災厄である『天空の蜂』は、2011年3月11日、未曾有の地震と津波という形で私たちの現実に墜ちてきました。犯人はむき出しの燃料プールを傷つけることを恐れあえて地下にプールがある高速増殖炉を狙いましたが、現実はもっと悲惨なものとなりました。立場が偏らないよう気をつけて書いたという言葉どおり、作者自身の主義は作中では表現されていません。しかし、原発を推進する立場、反対する立場、無関心な立場、様々な立場の登場人物が、様々な立ち位置から原発を捉え、語っています。
危険=反原発と短絡的になるのではなく、『見たくないもの、目をつぶって済むならそうしたいものにも目を向けなければならない。事実を正しく知った上で、YesかNoを選択せねばならない。知らないところで勝手に決まってしまったから仕方がないではない。知ることが、利便や利益を享受する国民の義務なのだ』それこそが作者の伝えたいことではないでしょうか。
『そもそも夏ってのは暑いものなんだ』とある登場人物の言葉です。計画停電で不便をこうむっている今、そして来る夏こそエネルギーについて真摯に知る、考えるチャンスが私たちに与えられているのかもしれません。
③
原子力発電所の真上に、巨大ヘリが爆発物を乗せて待機。テロリストの要求は、日本中の原子力発電所を止めろ、ということ。原子力発電が当たり前のように生活の一部となっていることに、何の違和感も感じない人があまりに多い中、物語中ではその危険性も丁寧に説明している。しかし、ただ単純に危険だ、危ないものなんだ、と説いているような幼稚なものではなく、原子力発電がなければ、今の生活が成り立たないこと、危険と隣り合わせに、どれだけの恩恵を受けているか?そして、都会に住んでいる人のどれだけの人がそれについて真剣に考え、知識を持っているのか?知らなかった、では済まされないような、大切な問題・・。そんなことを考えさせられる。文系の私には難しい理科系の理論もふんだんに描かれていたけどこの手の理科系の作品は、東野さん以外でここまで掘り下げて描ける人がいるだろうか!?とても勉強になるし、日常の生活の中、問題提起となる要素がすごく多かったので、読んでよかったと思ってる。 実におもしろい!そしてすごく考えさせられる、奥深い作品。ぜひみなさんに読んでほしいおすすめ本です。
④
「原発」と「テロ」という組み合わせが、いかにもたいした中身でなくても、おもしろい内容になりそうな、そういういやらしい題材の選びなのかなと思ったが、まったくそうではない。単に原発の批判しているだけじゃない。単に日本でのテロの危険未来シミュレーションでもない。それ以上にもっと奥深い問題。原発の存在によって、一人一人の人間の日常生活が、具体的にどのように変わっていってしまうのか、単なる原発被害ではなく、人間の愚かしさと原発特性の勝手な恐怖感による、社会の歯車が狂っていく様を見事に描いていて、それでいてだから単純に原発が悪いだけではないという、そういうバランス感覚にも優れた素晴らしい作品だ。特に最後の方で明らかになる事実がほんと驚愕。なんとそんなことが・・・。
おもしろすぎる。そしてほんと興味深い作品。ぜひ読んでほしい。特に原発の仕事をしている人や、原発の地域に住んでいる人に読んで欲しい。
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