ママはイラクへ行った;対テロ戦争、アメリカの犯罪
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
アメリカの過剰消費と軍事支出に依存した経済体制が崩壊した今、世界同時不況と局地戦争が同時進行しています。
正月の今も、世界各地で戦争が行われ、多くの人々が殺されています。
イスラエルはパレスチナ自治区ガザを1週間にわたって空爆し、地上戦の準備を進めています。
自衛隊はインド洋に2隻の「自衛」艦を派遣し、アメリカの「対テロ戦争」に給油を続けています。
これらの人殺しに、一体どれだけの石油が使われていることでしょうか!
戦争は多くの人間を殺害し、地球を温暖化させ、生き残った兵士の人間性をも破壊します。
以前、米軍兵士のPTSD(心的外傷後ストレス症候群)を紹介しました。
米軍には女性兵士も多く、その3分の1は母親です。
今回は、イラク戦争に従軍した母親兵士が置かれている過酷な現状を伝えたNHKスペシャル「ママはイラクへ行った」の一部を紹介します。
女性兵士が戦場に参加するきっかけとなったのは、ベトナム戦争の泥沼化でした。
兵役拒否や反戦運動の広がりで、アメリカは男性の徴兵制を維持でき なくなり、1973年、志願制に移行しました。軍は応募が伸びない男性に代わり、当時社会に十分な職場が解放されていなかった女性の人材獲得に力を入れました。
湾岸戦争では女性兵士の割合を11%とし、戦場にも送るようになりました。さらに、後方支援に限定していた任務を、イラク戦争では事実上戦闘地域に拡大しました。
女性兵士の3人に1人は母親です。母親兵士は、いまやアメリカの戦争に欠かせない存在となっているのです。
マーシー・メットカルフさん(26歳)。6年前、多くの人の役に立ちたいという思いから、災害救助などを担う州の軍隊、州兵に登録しました。
イラクの混迷が増す中、アメリカは正規軍だけでなく、州兵も戦場に送ることを決めました。入隊してわずか半年で派遣を命じられました。
当初、マーシーさんはイラクの人のために働けると前向きに受け止めました。
医薬品などを届ける任務の合間、子どもと触れ合うことに喜びを感じるようにもなりました。
「女の子は『ミスター、ミスター』と呼びかけてきました。私は装備袋からキャンディーを出し、その子にあげました。受け取った彼女の瞳はクリスマスの朝のように輝いていました。すばらしい経験でした。」
ところが、物資を届けるためにトラックを走らせていたときのことです。
「子どもたちの中に、小さな男の子がいて、私に手を振っていました。私は手を振りかえし、車を止めようとしました。その瞬間、男の子が銃を手に し、私をパンパンと撃ってきたんです。私は驚きのあまり心臓がドキドキしました。こんな子どもが撃ってくるなんて。気がつくと私は発砲していました。応戦 しろと言われていたので、撃たれたら撃ちかえすしかありません。私の命か、彼の命か。私は自分の命を優先しました。」
マーシーさんが殺害したのは、12歳の少年だったことが分かりました。
自分に笑いかけてくれた子どもたちと同じ年頃でした。
「何てことをしてしまったんだろう。私はこの国を守るために来たのに。平和のために戦っているのに、子どもを殺してしまうなんて。女性なのに、そんなことをしてしまい、ショックでした。」
マーシーさんが信じていたイラク派遣の大義は打ち砕かれました。
「私は兵士としての誇りを持ち、この国を愛していました。人助けをして世界を変えようと思っていました。でも、何のために戦っているのか、わからなくなりました。」
派遣から16ヵ月後に帰国、ささいなことに怒ったり、パニックを起こすなど、PTSDの症状が現れましたが、レストランで働きながら、日常生活を送っていました。
その後、一人の男性と交際を始めました。症状を理解し、支えてくれたからです。
その頃は、PTSDは良くなるだろうと思っていました。
帰国から1年半後に結婚、男の子を出産しました。
しかし、それはあの少年の殺害を、再びマーシーさんに突きつけることになりました。
「毎日、子どもの顔を見ていると、私がしたことを思い出すんです。子どもを産むことはできましたが、逆に苦しみが生まれました。子どもを愛しているのか、愛が何か、わかりません。私は命を奪ったのですから。それも子どもの命を。」
PTSDの症状は、子どもが生まれてから悪化していきました。
最近は小さな物音にも過剰に反応するようになりました。公園にいても、子どもが通りかかると攻撃のことが頭に浮かび、物音が機関銃の音に聞こえ、パニックになりそうでした。
母親として、子供を育てたいと願っているのに、一緒にいると殺害した少年を思い出してしまうため、家族と離れ、入院するしかありませんでした。
マーシーさんが入院したのは、ケンタッキー州にある復員軍人省医療センターです。
心に重い傷を負った女性帰還兵が増え、一昨年、症状の重い患者を対象にした入院治療プログラムを開始、1年間に70人を受け入れています。
「子どもにとって私は期待はずれな母親だと思います。オムツも替えないし、子どもが泣いてもすぐに起き上がりません。わたしは駄目な母親だと感じます(泣)。周りの人も私をひどい母親だと言うんです。どうしてこんなにひどいのか、自分でもわからないんです。」
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水族館でマーシーさんが息子を抱きながら歩いていたとき、イスラムの衣装を着た人たちが前を通り過ぎました。その直後、マーシーさんはわが子をおきざりにして、人ごみを離れた場所に立っていました。
「白い布をかぶった助成を見た途端、頭がムズムズしてきました。心臓の鼓動が激しくなり、そこにはいられませんでした。泣くしかありませんでした。」
このまま一緒にいることが本当に子どものためになるのか? マーシーさんと夫は、今、離婚について話し合いを重ねています。
米医師会が発行する専門誌「内科学アーカイブス」に掲載された論文によると、イラクとアフガニスタンから帰還、退役した在郷軍人約10万人のうち、25%が精神疾患と診断されたという。その半数がPTSDと診断され、医療施設を訪れた女性兵士の26%で、男性兵士の25%で、それぞれ精神的障害が見つかったとも伝えられている。
米国防省主導で行われ、2008年1月15日発行の英医学会会報に掲載された調査によると、イラクやアフガニスタンで戦闘任務に就いた米兵の約9%が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を経験していることが分かったという。
イラクに派遣されたウィラーさんは、 何の罪もない民間人を射殺するように命令する上官や、その命令に従って平然と人殺しを続ける仲間の兵士たち、そして、レイプした女性を笑いながら射殺する 兵士たちを8ヶ月もの間、目の当たりにしてきたことから、帰還後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだという。
2004年末に放映されたNHK・BSドキュメンタリー「イラク帰還兵 心の闇と闘う」の内容も詳細に紹介されている。
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