« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

ナンキョクですなぁ

 

これまでは「南極大陸は、南極半島など一部を除けば温暖化していない」「東南極は分厚い氷床に覆われて標高が平均3千メートルもあり、地球全体の温暖化傾向とは逆に寒冷化している」と考えられてきた。

 私もこのブログの「緑の南極;温暖化はどんどん進んでいる!」で、「100年ほど前は基本的には極地と同じ環境で、気候的に南極大陸とほぼ一体化していた。それが今は、亜南極性の気候がどんどん強まっている。」という証言を引用した。

 しかし、米ワシントン大や米国立大気研究センター、米航空宇宙局(NASA)などがNature誌に発表した論文によると、南極全体が温暖化しており、南極半島より西南極の温暖化が激しいという。

 氷床上の測候所は沿岸部にあるので、従来は内陸部の氷床の表面温度が分からなかった。人工衛星からのデータが得られるようになって、過去の内陸部のデータを推定できるようになったようだ。

 西南極の氷床の表面温度はこの50年間、10年あたり0.17度のペースで上昇し、東南極では同0.10度のペースで上昇。大陸全体では同0.12度のペースで温暖化していることになるという。

 これは大変な事態だ。IPCCの想定を超えて温暖化が進んでいる。まさにナンキョク(難局)である。

おあとがよろしいようで・・・

(アース)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

長寿と温暖化

毎年暮れになると喪中の便りを何枚かいただく。

今年は12枚、叔母の最高齢101歳を頭に80歳まで。それ以下は無い。

不謹慎かもしれないが、平均を計算するとほぼ90歳。大変な長寿である。

最近のアンチエイジングの研究では長寿の遺伝子があるそうな。

疫学的には腹八分ではなく腹七分が良いそうである。

すなわち1日1800~2000キロカロリーがよろしい。

動物実験でも低カロリー食で寿命が30パーセント伸びる結果が出た。

人間の身体も省エネすると長生きが出来るのである。

食物の摂取量が減れば食糧生産も減産出来る。もちろん、生産に関わるエネルギーも30-40パーセント減る。

結果としてCO2を減らすことができ、温暖化にブレーキが掛かり、環境も良くなる。

人間も生物環境も、無駄にエネルギーを使わなければ長続き出来るのだ。

大量生産、大量消費を続ければ、人間の寿命も地球環境の寿命も、温暖化によって双方の首を絞め、短命で終わるのだ。

大食いは環境も食い荒らし、全ての寿命を縮めることなのだ。

もちろん大食いは食だけの話ではない。大量にエネギーを消費する全てに言える。

                                        byエコエンジェル

| | コメント (0) | トラックバック (0)

緑の南極;温暖化はどんどん進んでいる!

Photo

 

「南極からの報告」(NHK総合TV 2008年12月29日午後9時57分)より 以下、同様

 一面に広がる緑の大地。ここはなんと、南極。

 緑色の正体は、氷が解けて露出した土に生えたコケなどだという。

 今、この緑の光景が急速に広がりつつあると言われている。

 南極というと、一年中氷に覆われた極寒の大地を思い浮かべるが、南極から細長く伸びた南極半島では、気候に異変が起きている。

 Photo_3

 世界の平均気温は過去50年間に約0.65℃上昇しているが、南極半島では2.8℃も上昇している。

Photo_4

 世界でも温暖化の最も進んでいる地域の一つである。 

 冬の平均気温は過去50年間で5℃ほど上昇したという。 

 100年ほど前は基本的には極地と同じ環境で、気候的に南極大陸とほぼ一体化していた。それが今は、亜南極性の気候がどんどん強まっている。

 急速に温暖化が進んだのは、地球規模の気温上昇だけでなく、局地的な海流や気流の変化も関係している
そうだ。

Photo_5

 撮影:写真家・藤原幸一さん 以下、同様

 2008年の3月、氷の上にスノーアルジーと呼ばれる藻類(クリオコナイトもその一種)が、まるで花畑のように異常発生していた。

2

 「普段ですと、雪が降って、積もって、スノー・アルジーもその下に隠れていくはずの南極なんですが、ずっと暖かいままなんで、大繁殖してたってことなんですね。」(撮影した藤原幸一さん)

Photo_6

 「実はこれ、湯気が立ってまして、初めて見た光景ですね。あまりの暑さにジェーツーペンギンは日陰に避難してみたり、非常に辛そうに見えましたね。」(藤原幸一さん)

 朝日新聞の小林裕幸さんは同様に湯気の立つ場所で25℃だったという。

Photo_7

 「これは、ペンギンの繁殖地に亀裂が走って、壊れている写真なんです。この生殖地は永久凍土の上にありまして、土の中は氷なんですね。温暖化で氷が内部から解けていきますんで、どんどん崩落が始まってるんです。」(藤原幸一さん)

 南極半島の永久凍土も、解けるとメタンガスなど強力な温暖化ガスが発生するのだろうか?

(アース)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ママはイラクへ行った;対テロ戦争、アメリカの犯罪

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 アメリカの過剰消費と軍事支出に依存した経済体制が崩壊した今、世界同時不況と局地戦争が同時進行しています。

 正月の今も、世界各地で戦争が行われ、多くの人々が殺されています。

 イスラエルはパレスチナ自治区ガザを1週間にわたって空爆し、地上戦の準備を進めています。

 自衛隊はインド洋に2隻の「自衛」艦を派遣し、アメリカの「対テロ戦争」に給油を続けています。

 これらの人殺しに、一体どれだけの石油が使われていることでしょうか!

 戦争は多くの人間を殺害し、地球を温暖化させ、生き残った兵士の人間性をも破壊します。

 以前、米軍兵士のPTSD(心的外傷後ストレス症候群)を紹介しました

 米軍には女性兵士も多く、その3分の1は母親です。

 今回は、イラク戦争に従軍した母親兵士が置かれている過酷な現状を伝えたNHKスペシャル「ママはイラクへ行った」の一部を紹介します。

米軍の11%は女性兵士

Photo

 女性兵士が戦場に参加するきっかけとなったのは、ベトナム戦争の泥沼化でした。

 兵役拒否や反戦運動の広がりで、アメリカは男性の徴兵制を維持でき なくなり、1973年、志願制に移行しました。軍は応募が伸びない男性に代わり、当時社会に十分な職場が解放されていなかった女性の人材獲得に力を入れました。

 湾岸戦争では女性兵士の割合を11%とし、戦場にも送るようになりました。さらに、後方支援に限定していた任務を、イラク戦争では事実上戦闘地域に拡大しました。

 女性兵士の3人に1人は母親です。母親兵士は、いまやアメリカの戦争に欠かせない存在となっているのです。

わが子に愛情を感じられなくなった

Photo_3

 マーシー・メットカルフさん(26歳)。6年前、多くの人の役に立ちたいという思いから、災害救助などを担う州の軍隊、州兵に登録しました。

 イラクの混迷が増す中、アメリカは正規軍だけでなく、州兵も戦場に送ることを決めました。入隊してわずか半年で派遣を命じられました。

 当初、マーシーさんはイラクの人のために働けると前向きに受け止めました。

 医薬品などを届ける任務の合間、子どもと触れ合うことに喜びを感じるようにもなりました。

 「女の子は『ミスター、ミスター』と呼びかけてきました。私は装備袋からキャンディーを出し、その子にあげました。受け取った彼女の瞳はクリスマスの朝のように輝いていました。すばらしい経験でした。」

 ところが、物資を届けるためにトラックを走らせていたときのことです。

Photo_4

 「子どもたちの中に、小さな男の子がいて、私に手を振っていました。私は手を振りかえし、車を止めようとしました。その瞬間、男の子が銃を手に し、私をパンパンと撃ってきたんです。私は驚きのあまり心臓がドキドキしました。こんな子どもが撃ってくるなんて。気がつくと私は発砲していました。応戦 しろと言われていたので、撃たれたら撃ちかえすしかありません。私の命か、彼の命か。私は自分の命を優先しました。」

 マーシーさんが殺害したのは、12歳の少年だったことが分かりました。

 自分に笑いかけてくれた子どもたちと同じ年頃でした。

 「何てことをしてしまったんだろう。私はこの国を守るために来たのに。平和のために戦っているのに、子どもを殺してしまうなんて。女性なのに、そんなことをしてしまい、ショックでした。」

 マーシーさんが信じていたイラク派遣の大義は打ち砕かれました。

 「私は兵士としての誇りを持ち、この国を愛していました。人助けをして世界を変えようと思っていました。でも、何のために戦っているのか、わからなくなりました。」

 派遣から16ヵ月後に帰国、ささいなことに怒ったり、パニックを起こすなど、PTSDの症状が現れましたが、レストランで働きながら、日常生活を送っていました。

 その後、一人の男性と交際を始めました。症状を理解し、支えてくれたからです。

 その頃は、PTSDは良くなるだろうと思っていました。

 帰国から1年半後に結婚、男の子を出産しました。

 しかし、それはあの少年の殺害を、再びマーシーさんに突きつけることになりました。

Photo_5

 「毎日、子どもの顔を見ていると、私がしたことを思い出すんです。子どもを産むことはできましたが、逆に苦しみが生まれました。子どもを愛しているのか、愛が何か、わかりません。私は命を奪ったのですから。それも子どもの命を。」

 PTSDの症状は、子どもが生まれてから悪化していきました。

 最近は小さな物音にも過剰に反応するようになりました。公園にいても、子どもが通りかかると攻撃のことが頭に浮かび、物音が機関銃の音に聞こえ、パニックになりそうでした。

 母親として、子供を育てたいと願っているのに、一緒にいると殺害した少年を思い出してしまうため、家族と離れ、入院するしかありませんでした。

女性帰還兵のPTSD治療施設

 マーシーさんが入院したのは、ケンタッキー州にある復員軍人省医療センターです。

 心に重い傷を負った女性帰還兵が増え、一昨年、症状の重い患者を対象にした入院治療プログラムを開始、1年間に70人を受け入れています。

Photo_2

 「子どもにとって私は期待はずれな母親だと思います。オムツも替えないし、子どもが泣いてもすぐに起き上がりません。わたしは駄目な母親だと感じます(泣)。周りの人も私をひどい母親だと言うんです。どうしてこんなにひどいのか、自分でもわからないんです。」

分割点6 03327

 水族館でマーシーさんが息子を抱きながら歩いていたとき、イスラムの衣装を着た人たちが前を通り過ぎました。その直後、マーシーさんはわが子をおきざりにして、人ごみを離れた場所に立っていました。

 「白い布をかぶった助成を見た途端、頭がムズムズしてきました。心臓の鼓動が激しくなり、そこにはいられませんでした。泣くしかありませんでした。」

 このまま一緒にいることが本当に子どものためになるのか? マーシーさんと夫は、今、離婚について話し合いを重ねています。

帰還兵に蔓延するPTSD

 米医師会が発行する専門誌「内科学アーカイブス」に掲載された論文によると、イラクとアフガニスタンから帰還、退役した在郷軍人約10万人のうち、25%が精神疾患と診断されたという。その半数がPTSDと診断され、医療施設を訪れた女性兵士の26%で、男性兵士の25%で、それぞれ精神的障害が見つかったとも伝えられている

 米国防省主導で行われ、2008年1月15日発行の英医学会会報に掲載された調査によると、イラクやアフガニスタンで戦闘任務に就いた米兵の約9%が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を経験していることが分かったという。   

イラクに派遣されたウィラーさんは、 何の罪もない民間人を射殺するように命令する上官や、その命令に従って平然と人殺しを続ける仲間の兵士たち、そして、レイプした女性を笑いながら射殺する 兵士たちを8ヶ月もの間、目の当たりにしてきたことから、帰還後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだという。

 2004年末に放映されたNHK・BSドキュメンタリー「イラク帰還兵 心の闇と闘う」の内容も詳細に紹介されている

(アース)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »